玄宗皇帝と楊貴妃が求めた「永遠の生と美」【冬虫夏草ライブラリー】
- 更新日2022年01月07日
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唐の詩人・白楽天は玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスを歌った「長恨歌」で、「眸を廻らせて一笑すれば百媚生じ六宮の粉黛顔色なし」と楊貴妃の美しさを称えた。にっこり笑えばえもいわれぬ艶めかしさがあふれ、化粧した後宮の美女たちも色あせてしまうというのだ。世界の三大美女とされる楊貴妃。もともとは玄宗の息子に嫁いできたのだが、これに玄宗が一目惚れ。自分のものにしたのである。この時、玄宗皇帝55歳、楊貴妃21歳。
楊貴妃に出会ったころ、彼は道教に深く帰依していた。このため楊貴妃を道教寺院に入れ、自らは宮廷内に修道院を作って修練する。道教は古代中国の山岳民族の間に発したもので、人は大自然の神を崇拝することによって存在し、その恩恵を受けられるという考えだ。そこで修験者の多くは大自然の神と契りを結ぼうと山に籠もり、何年もにわたって過酷な修行に励んでいたという。
この道教とともに5000年も受け継がれてきたのが「冬虫夏草」だ。深山に籠もって修行するうちに、修験者は冬虫夏草が病を癒やし、気を養う貴重な薬膳であることを知り、木の実と練り合わせて丸薬を作り、服用した。そしていつの間にか、時の皇帝が「不老不死の妙薬」として冬虫夏草を求めるようになったのである。
永遠の生を得たい玄宗も、永遠の美を授かりたい楊貴妃も、これを珍重しただろうことは容易に想像できる。楊貴妃はライチを好み、何日もかけて遠方から運ばせたという話がある。しかし、それ以上に大自然の恵み「冬虫夏草」こそが効果的、と考えたのではないだろうか。玄宗とともに祭壇に向かって祈り、冬虫夏草を使った料理を楽しむ楊貴妃の、妖艶な姿が目に浮かんでくるようだ。